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「日本語検定」?

sugiura, · カテゴリー: ことば

日本語検定とやらがあることを最近知った。日本語母語話者が受けても2級ですら難しいらしい。

「日本語検定委員会」という名前の特定非営利活動法人がやっている。

「法人」なのに「委員会」という名前を付けているのが気になる。

審議委員という人たちの名前がずらずらと14名あるのだが、言語学者が一人も入ってないのが気になる。

いったいこれは何をはかる試験か?

2009-03-25 卒業式(修了式)と謝恩会

sugiura, · カテゴリー: 大学院授業, 教育

博士号取得者は全員がスピーチすることになった。一人3分。20人だとして60分。
おめでたいことで、本人が、思い出を語ったり、先生に感謝したいということはわかるが、それを全員にやられると、聞く方はつらい。それがわからないかな。どういう状況でのスピーチかってことを踏まえてスピーチができるようになっていただきたい。
 
謝恩会での研究科長の挨拶で、修了生のそれぞれの母語で(10カ国語くらい?)「おめでとう」を言います、というのは、シンプルだけど、とってもよかった。(しかし、もうこの手は使えないですね、関係各位)
 

Corpusデータの誤植 つづき

sugiura, · カテゴリー: Tech, 研究

今度は Brown Corpus。カンマのはずが、ピリオドになっている。
以下の2行目「particles」の後ろ。

J08 0540 in defense considerations. The smaller the particle the further it will
J08 0550 travel downwind before settling out. An aerosol of such small particles.
J08 0560 moreover, diffuses through structures in much the same manner as
J08 0570 a gas. There may be a number of secondary effects resulting from diffusion

白井先生を中心とした言語習得文献講読の企画

sugiura, · カテゴリー: News, 大学院授業

2009年度後期10、11、12月の水曜日5時限目に、客員研究員としてこられるY. Shirai先生を中心として言語習得文献講読を企画します。

Corpusデータの誤植

sugiura, · カテゴリー: Tech, 研究

訳あってLOBコーパス中の接続副詞の数を数えている途中で、どうも、文頭のHoweverの数が合わない。

1) “However” では 119
2) “¥^.*However” では 118

「^」は文頭を表す記号として使われているが、その記号の後ろに小文字を表す「*0」等の記号が入る場合がある。また、「^」が正規表現で特殊文字あつかいされるので、文字列の指定をする際には「¥」で「エスケープ」しておく。

差分をとったりして調べてみたところ、以下のような行を発見:

G30 78 proved more difficult than anticipated. However, my friend Wilfred

つまり、データ中で文頭につけることになっている「^」のつけ忘れだ。

就職祝いと送別会

sugiura, · カテゴリー: 未分類

春だね。旅立っていくんだ。

立派、宮田さん

sugiura, · カテゴリー: 研究

本年度終了の科研の報告書。3月発行。

Miyata, S. (ed.). Development of a Developmental Index of Japanese and its Application to Speech Developmental Disorders (第一言語としての日本語発達指標の開発と言語発達障害への適用). 宮田スザンヌ(代表)平成18年度–20年度 科学研究費補助金(基盤研究(B))研究成果報告書、課題番号 18330141.

論文へのコメントをまとめるのに3時間

sugiura, · カテゴリー: 大学院授業

全て読んであっての話。コメントを書くのも手間がかかるのだよ。
疲れるなぁ。

2008年度情報委員会自己評価報告書

sugiura, · カテゴリー: 校務

これを書くので、また1日つぶれる。

愛知・岐阜・三重 英語学談話会 2009-03-14

sugiura, · カテゴリー: ことば, 英語教育

「小学校からの英語教育」

最悪の状態。

予算もない、人材もない、時間もない。強い反対論がある。でも、やったことにしたい。

=> なけなしの予算で、できる人ができる範囲で、ちょっと触れる程度に、やんわりと。

= できるようになるわけがない。そういうのを「お飾り程度にやる」という。無駄だ。

(早期英語教育が無駄だといっている訳ではないので注意)

「英語教育の専門家」は、「こんなことではできるようになりませんよ」というべきであろう。

また、逆に、「できるようになる条件」というのを、具体的に根拠を持って示すべきであろう。

(「根拠」が大切。自分の経験談とか、持論とか、意見とか、そういう話では議論にならない。)

例えば、母語と同程度に第二言語を習得するには臨界期以前に習得する必要がある、ということ。

「臨界期以前」に英語を「勉強」したからといって、お茶を濁す程度では、できるようにならないでしょう。

インプットの量が重要だという点について。

大量にインプット・インタラクション・アウトプットがある状況でも、臨界期を過ぎていると、母語と同程度にはなり得ないということ。(例:仕事や結婚のためアメリカに渡った日本人の英語)

そうなると、「母語と同程度」というのが、外国語教育に必要か、という問題につながる。

つまり、母語と同程度に第二言語ができるようになるには、

1)臨界期以前に                   [必要条件]

2)大量のインプット・インタラクション・アウトプット [十分条件]

が、必要である、ということ。

しかし、「母語と同程度」は必要ない、ということであれば、臨界期を根拠に持ち出す意味はなくなる。

もっといえば、臨界期だけをもちだして、だから小学校から英語を、というのは、必要条件は満たしても、十分条件は満たしてないので、だめだということだ。

ということは、日本の英語教育は母語と同程度を目指すのかどうか、を考えることがポイントとなる。

と、いろんなことを考えさせてくれるありがたい談話会である。(娘のバレエの発表会のため早退しましたが、、、)