「自閉症は『日本語』を話さない」

「自閉症は津軽弁を話さない」どころか、インターナショナルスクールに小さいころから通っているASDの子で、家でも日本語を話さずに英語を話す子がいるとのこと。

インターナショナルスクールだから英語でバイリンガルということではなく、親が話すL1ではなく、津軽弁にとっての「共通語」に相当する学校での共通語である英語を話す。その子はいろんな言語の文字が好きなようで粘土でギリシャ文字とかキリル文字とかハングルを作っている。

アイスランドでも、L1であるはずのアイスランド語を話さず、テレビで流れている英語を話すようになったASDの子が報告されているとのこと。

講演後の質疑応答で松本先生が言及されていたが、トマセロが言語の習得に意図理解とパタン発見が必要だという点で、ASDの子は意図理解ができずパタン発見で言語を習得するのではないかというご指摘、すごいと思います。言語の習得に必要な二つのうち一つが使えないとなると、補完的にもう一方を普通以上に発達させて言語を習得しようとするのでしょうね。言葉のパタンに強い関心が向けられいろんな文字を粘土で作ったり。

意図に関係なく物まねをするのが得意という特徴にぴったり。アニメのセリフがそのまま大量に記憶されていて、そのせりふを「しゃべる」。(『ぼくと魔法の言葉たち』

いわゆる方言をL1として話す地域では、方言を話さないという形で顕在化されますが、そもそもいわゆる共通語をL1として話す首都圏では、一見、普通に言葉を習得し話しているかのように見えますが、それは周りの人とのやりとりから習得したものではなく、津軽のASDの子供がメディアから学んだ「共通語」と同じ「共通語」なわけです。

L1とはなにか、という話につながる点もあるけれど、本質的には意図理解ができない・困難というASDの社会的相互作用の障害が言語面・言語能力に与えた影響と理解されますね。

言葉はつかえる、というか、普通以上に使えるけれど、意図とか気持ちが分からない。SyntaxとSemanticsはできるけれどPragmaticsができない。

B: Can you pass me the salt?

A: Yes.

B: ….