自己の相対化

4月9日に教養教育院のFDがあり、東京大学の駒場の藤垣先生が講演された。題目は「教養教育とは何か」
 
それがすなわち「自己を相対化する力」であるという定義。

これで、なぜ外国語を学ぶのか、も、なぜ古典を学ぶのか、も説明できます。
 
すばらしいですね、この定義。教養をこんな風に考えてみたことなかったです。
 
逆は、自己の絶対視・絶対化ですね。
 
そういえば、絶対視せずに相対化するという発想自体を相対化する、どんどんと相対化するということを考えていたら、絶対化されることから逃げ続けるということになるなと思って、「逃走論」を思い出しました。浅田彰、スキゾ・キッズです。スキゾの逆がパラノですね。