Hinkel, E. (2003)

Hinkel, E.(2003). Simplicity without elegance: Features of sentences in L1 and L2 academic texts. TESOL Quarterly, 37(2), 275-301.

学習者のエッセイが、どうして「学術的」に見えないのか。
洗練されてなく素朴な感じがしてしまうのはどうしてか。

素朴に見える語彙的・統語的項目を、Quirk et al., (1985)やBiber et al., (1999)の英文法書などを参考に取り上げ、2年かけて約千人分を手作業で分析した労作。

結論は「やっぱり」という、ごく当たり前の結果。そういう意味では面白みはないが、取り上げた項目は参考になる。

しかし、「教育的示唆」の部分は、思いつき程度のことであり、実証されているわけではないので説得力に欠けるだけでなく、理解と産出の違い、そして、習得メカニズムに関する洞察に欠けるため、むしろ、言及しない方がよかった。

やはり、労力をかけた部分、事実としてわかったこと、をもっと前面に出したほうがよい。

それにしても、なんで「教育的示唆」なんてするんだろう? どのように教育にいかすか、なんて、教育現場の話であり、教育現場ってのは、現実的な事情がさまざまあって「一般論」では、対応不可能。教育現場でいかすとしたら、読んだ人個人個人が、自分自身の担当している授業のことを考えて、そのなかで、どのようにいかせるかを考えるしかないでしょう。そういうことを自分で考えられない人が、教育的示唆なんて一般論を読んでも、現場でいかせるとは思えない。自分で考えられる人は自分で考えるし、考えられない人は知見をいかせないのだから、どっちにせよ、「示唆」なんてしなくてよいんじゃない?

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